2015年05月の全記事一覧

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大きな木

次女の入院していた福岡の病院「九州がんセンター」には親の会がありました。
この親の会は”大きな木”といって、小児がんの子どもを持つ家族の悩みを話し合える場として設立されたそうです。

活動内容として、自転車やベッドの貸し出し、月に一度の茶話会などを行っていて、付き添いの親にとって大変有難い存在でした。

特に自転車の貸し出しは、私みたいに県外から来ている親にとって本当に助かりました。
日々の買い出しはもとより、ずっと病室に籠っていると気が滅入ってしまう事もありますので、そういう時に僅かな時間でも自転車を走らせ外の空気に触れるだけでも、とても良い気分転換になりました。

茶話会でも、治療を終え退院された親御さんから、入院中のアドバイスを頂いたりもしました。
苦い薬の飲ませ方、復学にあたっての事、近所のスーパーのお買得品や先生方や看護師さんの話まで…

こういった活動を行っているボランティアの方には本当に頭が下がりますし、私もいつか、同じ経験をされているご家族のお役に立つことが何か出来ればいいなと思っています。


2015,5,31
2014年10月九州がんセンターにて


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有難うございます
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  1. 次女の病気のこと
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ウィッグ

次女は外出時はいつも帽子を着用しています。
退院して小学校に復学してから現在通っている中学校でも帽子を被っています。

入院中にアートネーチャーさんが社会貢献活動の一環として、小児がんの子どもたちにウィッグを無償で提供していることを知りました。
調べたところ、「リトルウィング・ワークス」といって、生まれつきの毛髪障害や事故や治療による脱毛など、様々な原因によって髪に悩みを持つ子どもたち(4才~15才)にウィッグをプレゼントするというものでした。

初発の時は小学一年生でしたので、そこまで本人も脱毛を気にしている様子はありませんでしたが、今回は六年生ということもあり、アートネーチャーさんにお願いしウィッグを作って頂くことになりました。

オーダーメードなので病室に来て採寸してもらいました。
出来上がりまで二か月ほどかかりましたが、とても納得のいくものが出来上がり、退院してからの心配がひとつなくなったと喜びました。
担当して下さった方も親切に対応して下さり、出来上がったウィッグを宮崎から、わざわざ福岡の病院まで届けにきて下さいました。「ついでがありましたので」と、にこやかにおっしゃってましたが、本当に有難いことだと感謝しました。また「気になるときは何時でもいらして下さい」と、専用のブラシやメンテナンス用品も一通り頂きました。

因みに娘のウィッグには、人工毛と人毛の両方が使用され、人毛は中国から輸入しているとのことでした。以前は日本人の髪も使われていたそうですが、現代の日本人の食生活の欧米化やシャンプー、パーマやヘアカラーなどの普及で日本人の髪はあまり使われなくなったとおっしゃってました。

しかし、せっかく作って頂いたウィッグですが、実は一度しか使用していません。
「急に髪が伸びると不自然で、周りの友達が変に思うから」というのが理由みたいです。

難しい年頃だなぁ~


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有難うございます
  1. 次女の病気のこと
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心根

娘の通う中学校の生徒会活動のなかで「こころね清掃」というものがあります。

これは「掃除の時間は、日頃お世話になっている校舎に感謝の気持ちを込めて、無言で清掃をしよう」という活動です。

中々いい活動だと思います。


私は、次女の入院中は病室はもとより、簡易トイレや点滴スタンドなど治療に係るものは、かなり入念に掃除をしていました。
当然、清潔にしておかないと感染症などの心配がある為でもありましたが、同時にそれらすべての物のお蔭で娘の治療が出来ていることに感謝していたからです。
発展途上国では、まともに治療が受けられない子どもたちも大勢いると思います。病気になったこと自体は不幸かもしれませんが、十分な治療が受けられる。それだけでも有難いと思うようにしました。


その影響があったかどうか定かではありませんが、次女の部屋はいつも綺麗で片付いています。たまに私の部屋が乱雑だと娘からおこられる始末です。


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有難うございます
  1. 学校のこと(PTAを含む)
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おやじと仕事

私は自営業者です。

以前は業績が良い時もありましたが、リーマンショック以降かなり厳しい状態が続いていました。

サラリーマンを辞め独立して十六年間自営を続けてきましたが、昨年、思い悩んだ末に自営を辞め会社勤めを始めたところ、次女の再発がありました。

移植手術で入院付き添いの為に、私か奥様のどちらが福岡に行くか話し合いをしました。当時、奥様もパートから正社員になったばかり、私は会社勤めとはいえ、お給料は歩合制でしたので収入は不安定でした。話し合いの結果、私が福岡に行くことになったのですが、何より自分が娘のドナーに適合したことに運命を感じていたからです。

会社は辞めてしまいましたが、入院中、僅かながらお給料を頂けたので本当に助かりました。

退院して宮崎に帰ってからは色々と考えましたが、元の自営業をすることに決めました。
しかしながら一年たって、急に業界が良くなり業績が上がるわけでもありません。今現在二つの仕事を掛持ちしてますが、それでも生活はかなり厳しいです…


実は、私の実家も業界は違いますが自営業でした。

父が五十二歳で急逝した当時、私は会社勤めをしてましたので、周りからは跡を継ぐことを勧められました。
生前、父に「将来、自営を継いでほしい」と言われたことがありましたが、私は「今の仕事が楽しい」と言って拒みました。

私が未成年のときに何度か父の仕事に付いていった記憶があります。
そこには、普段家では見られない父親の姿がありました。額に汗を流し大人の人と会話をして、一生懸命仕事をしている姿に、何か畏敬の念さえ覚えました。


私も、時々、娘たちを仕事に連れて行くことがあります。
私の背中はどんなふうに娘たちに映っているのかなぁ…


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有難うございます
  1. 仕事のこと
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外来日

今日は大学病院で月に一度の外来検査でした。

退院後しばらくは大学病院で月に二度、福岡の病院で隔月に一度の割合で検診を受けてましたが、経過が良いので最近はその間隔が長くなっています。

本日は、通常の血液検査と骨髄穿刺(マルク)という骨髄検査がありました。
骨髄穿刺とは、骨髄の状態を調べるために全身麻酔をし、腰のあたりの骨に注射して骨髄液を吸引するというものです。

骨髄検査の結果は後日判明しますが、血液検査では異常は見つかりませんでしたので、すぐに奥様にLINEで報告をしました。程なくして「良かった」の絵文字が返ってきました。
検査前はいつも、大丈夫!と思ってはいるのですが、実際に結果を聞くと心底ほっとします。

今日は主治医の先生に相談事がありました。学校で暫くすると水泳の授業が始まるので、その対応の相談でした。
先生は「今はまだ、日光を浴びることでGVHD(移植に伴う合併症)を誘発する可能性があるので、余り勧めませんが…ただ、今の状態が続いて免疫力が上がってくれば、そのうち出来るようになりますよ」とおっしゃって下さいました。

その事を娘に話すと、少し残念な素振りでした。娘はもともと体育は苦手な方でしたが、水泳は好きな様子でした。
可哀そうですが仕方ありません。暫くは我慢です。

実は、当初検診は一週間前でしたが、定期テスト前ということで本人の希望で今日にしてもらいました。
私が娘の立場なら、きっと病院を理由にテスト結果に言い訳すると思いますが…

娘の「やる気」には我が子ながら本当に関心させられます。

私も頑張るぞ!


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有難うございます
  1. 次女の病気のこと
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エコキャップ

次女が通っている中学校では、JRC(青少年赤十字)というボランティア活動を行っています。

因みに、県内で一番最初にJRCに加盟した中学校だそうです。(昭和28年)

その活動の一環で「エコキャップ運動」がありますが、我が家も例外ではなくペットボトルのキャップを現在集めています。

860個で1人分のポリオワクチンが買えるみたいです。

今現在30個ほど集まってますが、6月中に50個を目標にしているとのこと…

こういう活動を通じて社会貢献できる喜びを感じてくれると嬉しいです。

2015,5,25


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有難うございます
  1. 学校のこと(PTAを含む)
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意思伝達装置?

骨髄移植後、口内炎にはかなり悩まされました。

とにかく痛がって食べる事はおろか、自分の唾液も飲み込めない状態で、口を開けることすら出来ませんでした。

娘が言葉を話さなくても気持ちが分かるようになればいいなと考え、そこらにある物で即席で作ったものがこれです。

2015,5,24,1  2015,5,24,2
栄養ドリンクの箱を加工したものです。割りばしを下に押せば表示が上にあがる仕組みになってます。

これを見た先生方や看護師さん方の評判は大変良かったのですが、
本人の評価は低く、実際は一度も使用しませんでした…
まぁ、それでも「なにこれ~!」と笑ってくれたので、それだけで工作した甲斐はありました。

他にも、シャワーする時にカテーテルの管が濡れない腹巻?など自作しました。


だだでさえ、辛い入院生活…代わりたくても代わる事も出来ず…
この痛くて辛い入院生活をいかに面白く、そして前向きな気持ちにもっていけるようにすることが私の唯一出来ることでしたので、何があっても娘の前では笑っていよう!そして、娘を沢山笑わせよう!そう決めていました。


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有難うございます
  1. 次女の病気のこと
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丸刈り

次女が再発をし、抗がん剤治療が始まり髪の毛が抜け始めたころ、
私は坊主頭にしました。
バリカンで頭を丸めたのは何十年ぶり(高校の部活以来)でした。

実際に治療で痛い思いをするのは次女本人ですが、娘に寄り添って一緒に頑張っていこうと覚悟を決めたからです。

HLA検査で私がドナー候補となってからは、自分の食事にも気を付けましたし、
大好きなお酒も減らしました。
実際に効果のほどはわかりませんが、少しでも良い骨髄を娘にあげたかったからです。


そして信じられないことに、
移植前と移植後に同じ方法で、娘の体力測定をしたのですが、なんと、移植後のほうがすべての項目で体力がアップしていたのです!
これには先生方もびっくりされていました。移植後は体力が落ちているのが通常のようですが、なぜ上がったか本当の理由はわかりません。
娘に「パパの骨髄はすごいね!」
と自慢げに言うと、「でも、そのお蔭でこんなにきつい思いをさせられた!」
と言われました…
それはそうなんだけど…


きっと世界中の父親は、自分の娘にとってスーパーマンみたいな存在になりたいと思っているのでは?と、勝手に考えてます。
かっこよく、尊敬され、何でも出来る頼りがいのある父親…

そんな親父になりたいなぁ


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有難うございます
  1. 次女の病気のこと
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姉妹

二人の娘は、ほとんど喧嘩もすることもなく、今でもほんとに仲がいい姉妹だと思っています。
六歳差ですので、次女が小学校入学の年に長女が卒業でしたので、一緒に小学校生活をさせてあげれなかったのは残念ですが、こればっかりは仕方ありません…

次女が小学一年生で病気を発症し入院した時、長女は中学一年生でした。
その時は奥様がずっと病院で付き添いをしてましたので、長女には寂しい思いをさせてしまったと思います。

抗がん剤治療が始まり髪の毛が抜け、痩せ細った妹と最初に面会した時はとても動揺した様子で、か細い声で「◌◌ちゃん大丈夫?…」とだけしか話せませんでした。

長女には、病名や治療のことを詳しくは話していませんでしたが、変わってしまった妹の姿にさすがに動揺を隠せない様子でした。


福岡に入院中の時は、私が付き添いをしてましたが、奥様が週末を利用し、月に二回ぐらい病院に来てくれてました。
たまにお姉ちゃんを連れてくるのですが、明らかに次女のテンションが上がり、
ずうっと二人で楽しそうにおしゃべりしてました。

お姉ちゃんとの面会が一番の良薬のように思えました。


親として、姉妹が仲が良く助け合いながら生きていくということは、子どもたちにどんな財産を残すよりも価値があると思っていますので、その点ではこの先も安心なのかなと考えています。
そもそも、たいした財産を残せそうにもありませんが…


2015,5,20
写真は中心静脈カテーテルの管用カバーですが、
お姉ちゃんの手づくりです。


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有難うございます
  1. 次女の病気のこと
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笑う門には

私の住んでいる宮崎市の丘陵地に、平和台公園という都市公園があります。
一角に「はにわ園」という場所があり、はにわのレプリカ400基余りが遊歩道に展示してあるのですが、中には笑っているはにわもあります。

ふと立ち止まって顔をのぞくと、
何だかこちらまで笑顔になります。

笑顔には相手の心をほっこりする効果があるのですね…

気をつけないといけないな…

2015,5,19


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有難うございます
  1. 未分類
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退院後

退院後一か月ぐらいは、自宅でゆっくり過ごせばいいと考えていましたが、本人が「早く学校に行きたい」と、言いだしたので、学校のインフルエンザ流行の状況を確認した上でマスク着用のもと、退院して四日目から登校させました。

早い復学に周りもびっくりしましたが、学校で友達と遊んだり、勉強したりすることが娘の為になるのでは、と思ったからです。ただ、無理はさせたくありませんでしたので、暫くは授業は二時間目まで受けて、慣れたら午前中いっぱいとか、少しずつ時間を伸ばしていくことにしました。
自宅から学校までは歩いて二十分ぐらいなのですが、当分は車での送り迎えを続けました。
また、担当して下さった福岡の主治医の先生が、学校の担任の先生に気を付けてもらいたいことなどを、事前に連絡して下さったお蔭で安心して学校に送り出すこともできたと思います。


そうして、二週間後には終礼まで学校にいることができました。
ただ、体育の授業だけは見学をさせていました。


一度、担任の先生からとても心配された様子で電話を頂いたことがあります。
掃除の時間に机を運んでいて転倒し鼻血が出たときでした。周りの友達が運んでいるのを見て自分も運んだそうですが、机が重たく転んでしまったようです。
先生も配慮が足りなかったと反省された様子でしたが、娘のことで余分にご心配やご迷惑をおかけして申し訳なく思いました。
それからは、掃除の担当場所を変えてもらい、娘にも「無理はするな」と念を押しましたのでそれ以降は大丈夫でしたが…


その後、一時期帯状疱疹に悩まされましたが、残り四か月ほどの小学校生活を終え無事に卒業することができました。
小学校最後の運動会や合唱コンクール、修学旅行など参加できなかった行事もありましたが、この先きっと何倍もの楽しいことが待っていると信じています!

治療をしたことによる様々な合併症、
生活する上での制限など心配事は尽きませんが…

今はお蔭さまで元気に中学校に通っています。

子どもが学校に行き、
そして無事に家に帰ってくる…

そんな当たり前のことがどんなに素晴らしいことか…


2015,5,5
今年のゴールデンウイークは
宮崎県の北浦海岸にキャンプにいきました


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有難うございます
  1. 次女の病気のこと
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しょっぱいお弁当

私はPTAの役員を小中合わせて11年間させて頂いてます。
現在12年目突入…


次女が小学一年生の時は(白血病を発症した年)PTA会長三年目の年でしたが、次女の入院で、周りの役員の皆さま方にはとても迷惑をお掛けしたと思います。
ただ、「こっち(学校)はいいから、家族のことだけを考えて下さい!」という校長、教頭先生や役員の皆さまのお言葉に大変救われました。

実際、娘が入院してから学校に行くこともありませんでしたし、それに…元気な子どもたちの姿を見るのがとても辛かったです。


そんなとき、一本の電話がありました。
それは校長先生からで、秋の大運動会に来てもらえないか?という内容でした。
運動会といえば学校の一大行事ですし、私は少し不安な気持ちもありましたが、校長先生の申し出をお受けすることにしました。

運動会の前日に、副会長さんから「会長、明日のお昼は考えなくていいですよ!」と言われ、お昼の弁当のことは何も考えてなかったことに気づきました。


運動会当日
午前の部が終わり昼食の時間がきました。昨日の副会長さんからミーティング・ルーム(PTAの部屋)に来るよう促され向かったところ、そこには男性の役員さん全員がいらっしゃいました…
なんと、役員の皆さんでお弁当を一品ずつ持ち寄って頂き、私の分まで準備されていました。

年に一度の運動会…
皆さん、本当はご家族でお弁当を食べたかったでしょうに…


あの時、皆さんと食べたお弁当の味は一生忘れることができないでしょう。


私たち家族だけで病気と闘っているわけでなく、周りの方々と一緒に闘っているのだと改めて思い、さらに勇気をもらうことができ、運動会に行って本当に良かったと思いました。


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有難うございます
  1. 学校のこと(PTAを含む)
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移植後~退院

生着後はGVHD(移植片対宿主病)といって移植に伴う合併症が現れましたが、この症状は私の白血球が娘の体を他人とみなし、免疫反応を起こして娘の体を攻撃することで現れる症状なので、体内に残っている悪性細胞をやっつけてくれる効果もあります。
主な症状として発疹、下痢、肝障害、その他内臓などに障害が現れます。また、移植後すぐに現れるものを急性GVHD,100日後以降に現れるものを慢性GVHDといいます。

幸い娘の場合は、腕とお腹周りの発疹で済みました。
とは言っても、前処置の抗がん剤や放射線治療で、頭痛、吐き気、粘膜障害にずっと悩まされ続けました。

口内炎も酷く、手術してから30日ぐらいは何も口にできない状態が続いていました。

口内炎が落ち着いてきて次女が「バナナが食べたい」と言った時には本当に嬉しくて、病院の貸し出し用の自転車に乗り、スーパーに涙ながらにバナナを買いに行きました。
そして、私の心は感謝の気持ちでいっぱいになりました。


そうして、遂に2014年11月8日、術後66日での退院となりました。


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骨髄移植

骨髄移植の手術をするにあたり、地元の宮崎ではなく事例の多い福岡の病院に転院することになりました。

移植の前に前処置というのを行わなければなりませんでした。
前処置というのは、致死量に値する大量の抗がん剤の投与と放射線照射で、娘の悪性細胞や機能不全の骨髄を徹底的に根絶するためと、その強力な免疫抑制効果により移植された骨髄の生着を助ける為に行われる治療です。

放射線治療は三日間連続で行いないましたが、二日目からは放射線室まで自力で歩いて行けず車いすでの移動でした。


何とか前処置を終えることができ
2014年9月3日
運命の骨髄移植…


実は手術自体は比較的簡単で、ドナー(私)から採取した骨髄液を点滴で患者(娘)に入れるというものです。

ドナーである私の腰のあたりから、太い注射針で骨髄を採取するのですが、
手術中は全身麻酔で眠っていましたので全く痛くありませんでした。
しかしながら、その後一ヵ月ぐらいは腰の痛みは続きました。


私の手帳に手術前日こんなことが書いてありました。
「明日はいよいよ手術だ、私が娘を救えるという喜びが大きく、とても感謝している。必ず成功し無事退院できると信じている!」

また手術当日には
「無事終わった…一安心。一つ大きな仕事が終わった感じ、頼んだぞ!オレの骨髄」

手術が成功し無事に生着(移植した細胞が新しい骨髄で血液をつくり始めること)を願ってました。


9月18日、術後15日での生着が確認できたときには天にも昇る心地でした。


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有難うございます
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再発

病気で入院していたことが嘘のように、普通に小学校生活を過ごし、いよいよ小学校での生活もあと一年となり、このまま何事もなく卒業を迎えてほしいと願っていた矢先


2014年5月28日
前日の定期健診で異常が見られ、再発を聞かされた時には、流石に堪えました…

というのも、再発した場合の生存率が極端に下がるということを聞いていたからです。
主治医の先生から実際の生存率を聞いたときには愕然とし、体中の力が抜けていったのを今でも覚えてます。

同時に骨髄移植という選択も説明されましたが、HLA(白血球の血液型)の適合が条件でした。

早速、HLAの適合確認の為、私と奥様とお姉ちゃんの3人の採血をしました。
結果が出るまでに一週間ほど待ちました。
兄弟間で4分の1の確率で適合すると聞いたましたので、お姉ちゃんが合ってくれることを、只々祈ってました。


検査の結果…
私が抗原型適合でした。遺伝子型で1座違いではありましたが、私が有望なドナー候補になりました。

私の骨髄で娘が救えると思うと涙が止まりませんでした。
そして、お姉ちゃんではなく私が適合できたことに何か運命を感じていました…

そして強く誓いました。

必ず治してみせる!と


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有難うございます
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発病

2009年6月26日早朝。一本の電話が鳴りました。

「○○ちゃんの採血結果で、気になる事があります。紹介状を書きますので、
至急県病院へ行ってください」と、かかりつけの小児科医の先生からでした。

当時、次女は小学一年生でした。

熱が出たので、風邪かな?と思い、学校を休ませかかりつけの病院に連れて行きましたが、一週間熱が下がらないので、念の為に前の日かかりつけの病院で採血をし血液検査を受けたところでした。
直ぐに奥様と次女を連れて地元の県病院へ行き、詳しい血液の検査をしたところ、白血球が異常に少ないので直ちに入院するように言われました。

二人の子ども達は生れてこの方大きな病気などしたことなく、次女の入院は正に青天の霹靂で、とても不安な日々が続いたのを覚えています。


そして、一週間後に主治医の先生から、白血病の疑いがあるので大学病院での骨髄検査を勧められました。

直ぐに大学病院へ行き骨髄検査を行ないました。
検査の結果は…急性リンパ性白血病でした。

当時は、とにかくインターネットや書籍で関係する情報を集め、どの様な治療方法があるのか、親は何をすればいいのか、周りにはどう対応すればいいのか、治療費は…等々調べながら、見えない不安と闘っておりました。
又、同じ様な境遇に遭われたご家族のブログを我が家と重なり合う様に見てました…
入院中は、平日は奥様が付き添い、週末は私が付き添っていました。私の母が同居をしてましたので、家事やお姉ちゃんの世話など大変助かりました。


治療の方も本人の頑張りで順調にいき、2010年3月31日無事退院しました。


約九か月間の入院(化学療法)と二年半の通院(維持療法)で寛解(病気の症状が、一時的あるいは継続的 に軽減した状態。または見かけ上消滅した状態)を保っていました。


小学校にも復学し、元の生活を取り戻し、入院生活が遠い昔のように感じていました…


しかし、最終学年の六年生に上がった矢先でした…             


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  1. 次女の病気のこと
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はじめまして

はじめまして(^^) T.かっちゃんと申します。
日々の出来事など綴っていこうと思います、よろしくお願い致します。

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プロフィール

T.かっちゃん

Author:T.かっちゃん
奥様と二人の娘(20歳14歳)の四人家族です。自営業の傍らPTAや地域活動に勤しむ40歳半ばのおやじ日記です。
次女が2009年に急性リンパ性白血病を発症、2014年に再発し、私がドナーとなり骨髄移植手術をしました。

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